アレでコレでソレな人々

 

人生経験豊富な人の中には、「あれ」「これ」「それ」を愛してやまない人が多い。

 

A:こないだあそこの奥さんがあれしたらしいのよ、聞いた?
B:聞いた聞いた! あそこのほら、あれのとこでしょ?
 あそこ、ちょっとあれしてるからねえ。
A:そうなのよ。ほんのちょっとなんだけどね。
 でも私らも年だから、ちょっとあれしたら、すーぐあれしちゃうもの。
B:ほんとよう。お互い気を付けなきゃねえ。

この会話の横を通りがかった見知らぬ人には、これはまったくの暗号に聞こえる。
具体的な単語が一切出てこない。しかし当人たちには何のことだかわかっているのだから、これはまさに熟練のスパイ達の会話である。

先程の会話を常人語に直せば、次のようになるだろう。

A:この間、鈴木さんの奥さんが骨折したらしいのよ、聞いた?
B:聞いた聞いた! スーパーの裏の自転車置き場のところでしょう?
 あそこって、ちょっと段差があるからねえ。
A:そうなのよ。(段差自体は)ほんのちょっとなんだけどね。
 でも私らも年だから、ちょっと転んだら、すぐ骨折しちゃうもの。
B:ほんとよう。お互い(転ばないように)気をつけなきゃねえ。

なんてことはない、穏やかな日常会話である。
熟練の者たちには長年の経験で培ってきた技術があるので、これを前述のアレコレで済ませているだけだ。

 

しかし、本当にその内容は穏やかなものなのだろうか?
「年齢のせいで言葉がでてこない」にかこつけた、危ない会話なのではないか?
たとえば先程の会話だって、本当は次のような会話かもしれない。

A:こないだあそこの奥さんがターゲットを暗殺しようとして反撃にあったらしいのよ、聞いた?
B:聞いた聞いた! 最近建ったマンションの裏の、自転車置き場のところでしょう?
 あそこ、ちょっと入っただけなのに人目につかないから絶好の場所なんだけどねえ。
A:そうなのよ。ほんのちょっと道を入っただけで、任務遂行できるいい場所なんだけどね。でも私らも年だから、ちょっと油断したら反撃されて、すぐ自分が負傷しちゃうもの。
B:ほんとよう。お互い反撃されないように気を付けなきゃねえ。

こんな仲間の活動状況報告会が、なんてことはない街のスーパーの一画で行われている可能性があるのだ。通りゆく無関係の人々は「ああ、あのおばさんたち、言葉が出てこないから代名詞で無理矢理会話してるなあ」と哀れな気にもなるかもしれない。本当はプロの始末屋の熟練された情報伝達技術なのに。

 

 そして、「いくらプロでも、あの話法では理解のすれ違いが生まれるのでは?」という疑問も湧く。
彼らの会話はあれこれそれのオンパレードで進んでいくので、話している当人たちにも、相手が自分の意図した理解をしているかどうかは判明しないはずである。


だから、次のような誤解が生まれている可能性だってある。

A:こないだあそこの奥さんがあれしたらしいのよ、聞いた?
 (Aの真意:二日前、山田さんの奥さんが暗殺したターゲットの埋葬処理に無事に成功したらしいのよ。聞いた?)
 (Bの推測:先週、鈴木さんの奥さんが狙撃されかけたらしいのよ、聞いた?)

B:聞いた聞いた! あそこのほら、あれのとこでしょ?
 あそこ、ちょっとあれしてるからねえ。
 (Bの真意:聞いた聞いた! ゴミ捨て場の角のところでしょ?あそこ、公園の木が死角になって、向かいのマンションから狙えるからねえ。)
 (Aの推測:聞いた聞いた! 公園の山の、頂上のところでしょう?あそこ、ちょっと坂がきつくて、お花見の時期以外は人も行かないものねえ。)
 
A:そうなのよ。ほんのちょっとなんだけどね。
 もう私らも年だからちょっとあれしたら、すーぐあれしちゃうもの。
 (Aの真意:そうなのよ。坂がきついったって、ほんのちょっとなんだけどね。もう私らも年だから骨ももろくなってて、埋めてちょっと放置したらすぐに分解されちゃうもの。)
 (Bの推測:そうなのよ。死角ったって、ちょっと気をつけてれば気づけるんだけどね。もう私らも年だから、ちょっと油断したら、すーぐ殺られちゃうもの。)
      
B:ほんとよう。お互い気を付けなきゃねえ。
 (Bの真意:ほんとよう。お互い始末されないように気を点けなきゃねえ。)
 (Aの推測:ほんとよう。お互い始末されないように気をつけなきゃねえ。)


互いに異なる内容について話しているのに、アレで済ませているので誤解には気づかない。
そして、毎日を必死に生きているという状況は両者共通のものであるので、締めくくりの会話は互いに似たようなものとなり、誤解などなかったかのように、自分と仲間の平穏な生活を願ってにこやかに別れるのだ。おそらく日々の報告や連絡は、人目につかない場所や手段で暗黙のうちに行われているのだろうから、その場では内容を深追いして誤解を追求することもない。会話の間、両者の間では感情の共有のみが行われ、結局、仲間意識と相手への親しさが増すという、組織として有利な結果に終わる。

 

こう考えてみると、日本の街中に大量にいる「あれあれおばさん」たちは、実は非常に高度な技術に支えられた、洗練された会話を交わしている可能性に行き当たる。
人に悟られずに不穏な世間話をニコニコと行う彼らは、只者ではない。