バターミルクチキンの思い出

 

 それはこんなものである。
塩辛い。カリカリとした薄い衣がある。
齧れば、衣の内側にはふっくらとジューシーな柔らかい肉がある。美味い。
さらにその奥には、ものすごく硬いものがある。
肉はそれに抱きつくようにこびりついていて、なかなか離れようとしない。
肉は食べたい。
店からはナイフとフォークが提供されているが、
食べ進めるうちに、示されたマナーを守りがたくなってくる。
禁断の指を使う。
口の中でじゅんわりと肉汁があふれるような、むちむちとした肉を食べたい。
食べる。
今度は甘い。
塩辛いけれど、甘い。同時に。同時に甘い。
後を引く甘さではない。
舌に触れた瞬間「甘い!」と思うような激しさの甘さだけども、
次第に塩辛さに呑まれて甘みは感じなくなってくる。
あの甘みは幻だったのではないか?
そう思ってもう一口、齧ると、再び舌は甘さにびっくりする。
なんだ、やっぱり甘いものだったか。
気のせいではなかった、とガツンとした甘さを確かめているうちに、
自分が現在咀嚼しているものは塩辛いものだ、と認識する。
どういうことだ?
そのまま顎と歯を動かしていると、そこにはもう甘さの面影はなく、
肉汁の豊潤な香りと、パリッとした衣の潔いしょっぱさしか感じなくなる。
再び思う。どういうことだ?
衣を齧る。甘い。確かに甘いのだ。ああ、なのに甘さが消えていく!
混乱しているうちに、先程店員が一緒に置いていった瓶が目に入る。
こちら、メープルビネガーでございます。お味を変えたいときにお使いください。
店員はそう言っていた。
未だに味は把握できていないが、もう残りが少ない。
せっかくなので試してみなければ。
そのメープルビネガーは、少しとろっとしている、赤みがかった焦げ茶の液体だ。
切り分けた肉に、少量かける。そして口に運ぶ。
肉の味が変わった。まず最初に、まろやかな酸味が来る。おそらくビネガーだ。
次に、衣の甘みを感じて、その次は衣の塩気、そうして肉の味。
その肉の味が刻々と変わっていく。
最初は繊細に調理されたやさしい鶏の味だ。きっと優等生だった。丁寧に飼育された。
それが噛みしめるうち、野性味を増す。
舌の奥で、ほのかに血生臭さを感じる。騙されるな。こいつは乱暴者だ。
本当は荒くれ者だが、上質な料理の素材となるように手間暇かけてて育てられるうち、
飼育者の愛を感じて、気性のおとなしい、穏やかな鶏となったのだ。
本当の俺は野蛮な荒くれ者だ!忘れるな!
繊細な調和を脱ぎ捨て、尖った味が主張する。
そんな肉も小さくなり、最後の方で、最初とは違う甘ったるい甘みが来る。
それを飲みこんだ後、口に残るのは、おそらくメープルの甘みである。
メープルは肉汁を刺激して何故か野蛮な味を引き出した。
けれども舌先に残って、デザートのような甘みを残している。
後味は、いい。
焦げ茶のシロップを掛けずともいいのであるが、
掛ければまた別の味が襲ってくる。
どういうことだ、と確かめる隙もなく、あっという間に皿が空になる。

  

そんな、実在する不思議な食べもの、
バターミルクチキン。
ちなみにミルクの味は一切しなかった。